二月の鯨

週3~5回いく映画鑑賞感想、たまに消化する積みゲーの感想、映画祭やドラマの話


映画作品鑑賞リスト2024
鑑賞リスト

ゲーム:保守的で多様性を認めないJRPGをどう考えるか。

喧嘩売ってるタイトルですね。まあ、怒る人もいるかもしれません。

ただの感想に近いです。日々考えていること。

当事者だったけど無理だなと思ったから。

 

私が最初にJRPGをプレイしたのはいつだったろう。

マザーや、ドラクエ3、マリオRPGなど色々やった。

セガサターンが出たころに、グランディアにハマって、一週目をプレイするとき、ボス手前まで行ってLVが足りずにもう一度最初からプレイしたこともある。

女神転生や、デビルサマナーもプレイした。

悪魔と会話して、仲間にするというシステムも新しくて好きだった。

 

シェンムーはあの頃なかった、オープンワールドゲームというものを私に提供してくれた。あのころはフリーというジャンルだったと思う。

何をするでもなく、コンビニにいっては物を手にとってただ眺める。

公園の猫に餌をやる。

九龍城なんて最高でずっと入り浸っていた。

私は、あのゲームを上京するときに一緒にもっていって、6週ぐらいプレイした。

学生の頃、夜中の3時までシェンムーをプレイした後に、次の日8時までに学校にいっていた。勿論、毎日0時まで予習して20時まで部活をしていた。

 

そのぐらい日本のゲームは好きだった。

 

でも、いつの頃からだろう。洋ゲーをプレイするようになったのは。

洋ゲーに近い概念に出会ったのは、おそらく高校生の頃、サイレントヒルをプレイしてからだ。

 

あのゲームに出会うまで、私はホラーというジャンルをただのエロいものだと思っていた。プレイして衝撃だった。

ミステリーであり、ホラーであり、ドラマなのだ。

あの時ほど、こんなに悲しみに満ちている物語なのに、三角頭の強襲が恐ろしく、クリーチャーたちの造形の素晴らしさへの衝撃にに出逢ったことはそれまでなかった。

勿論、フィギュアも持っている。

私は全部のエンディングをクリアしたのち、完全攻略本を購入した。スタッフのおすすめの映画は、デビットリンチの映画に焦点をあてていた。

勿論、そこに書かれているすべてのリンチの映画を鑑賞した。

リンチだけではなく、ジェイコブスラダー、イレイザーヘッドなどたくさん見た。

 

それまでは人間ドラマなどばかりみていた私だったが、ジャンルを問わず映画をみるようになり、貪るようになった。

いつも新しい発見をくれる。

 

それから、アランウェイク、スカイリム、フォールアウトをプレイした。

淡々とする作業クエストの中に、たまにおかしな物語やクエストがあってとても面白かった。

バイオショックシリーズも本当に面白かった。マスエフェクトで世界を旅して、その世界構築に興味を持ち、色々な宇宙人たちと語り合った。

たまに、ティルズや、FFシリーズをプレイすることはあるが、しかしそれは私にとって作業に近かった。

 

私はワンピースが嫌いだ。

友情だ!愛だ!努力だ!みたいな押し付けが嫌いだからだ。

説教されている気分だ。

鬼滅の刃も好きではない。

正確にいうと、嫌いではないけど、表現が直接的すぎるのだ。

時代劇なのだ。

おっかあ、つらいよなあ、だいじょうぶかあ、元気になったかあ、俺は悲しいよう、死なないでくれよう、みたいなものを感じる。

 

もう一度いうよ、悪くないよ。

ある意味山椒大夫における直接さがあるかもしれない。

鬼滅の刃が好きな人は、山椒大夫を見ることを薦める。

なんだかんだ、私は山椒大夫で号泣したけど。

 

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鬼滅の刃は同じセリフを二回使うことによって、感情を盛り上げてくる。人間と悲しみ故に鬼となってしまった彼らの物語であり、そこをたんじろうが受け止めていく話だ。そして信念を突き通そうとする。そこが重要でもあり、全部読んだ。

俺は長男だから耐えられた!っていうセリフはギャグに近い。ちょっと吹いた。

しかし、天気の子でも思ったが、何故ここまでストレートにセリフを盛り込むようになってしまったのだろうか。

 

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私はそれが少し寂しい。

でも、今はそれが売れているのだ。

 

昨今のゲームは、俺たちは仲間だぜ!助けるぜ!お前が好きだ!愛してる!みたいなことを言ってくる。

私は、それは色々な要因があると考えている。

新しい世代は映画の文章がわからなくなってしまったとか、映画の間をスキップして早送りしてしまうとか。

 

町山さんもいつだったかラジオで言っていた。

最近の若い人は映画の意味がわからなくなっていると。

多分、若い人というより、映画の見方、物語の見方が今の時代では変わっていってしまっているのだと思う。

 

概要だけ見たいのかもしれない。人は時間に追われているのだろうか。

どうなんだろう。

そういう意味では、ゲームプレイをしないでカットシーンばかりに頼っているゲームの作り方は概要を詰め込んていると言えるのかもしれない。

だが、ゲームは体験だ。

プレイすること、それにこそゲームの文章がある。

淀川さんが映画には映画の文章があるというように端折ったらわからない。

 

そして、ゲームの主人公たちはいつも悲しみを背中に背負っている。

大体は、自分勝手な悲しみだ。

俺は可哀そうだろう?慰めてくれよ?という看板をしょっている。

それを癒すヒロインが大体傍にいて、私だけは分かっているーと寄り添うのだ。

クサイ台詞の応酬。

なにこの気持ち悪さ。自己憐憫が恐ろしい。

いいか、自己憐憫はシンジくんだけのものだぞ!

まあ、売れているゲームに、その要素が定着していることも事実だ。

それを踏襲しているのかもしれない。

ある意味それが、JRPGの定型句なのだろう。模倣しているのだ。

 

いつだったか、三宅隆太さんか誰かのコラムで映画のシーンの撮り方についての講釈を読んだことがある。

学生に映画を撮らせると、誰かが窓辺で遠くを眺める物憂げなシーンをよく入れてくるのだという。

理由を聞くと、どこの映画でも何となく入っているから入れているのだと。

 

そして私は最近感動したゲームについて考える。

私が最近感動したゲームは、The Last Of Usと、ゴーストオブツシマだ。

 

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どちらも新しいことに挑戦したゲームだった。

ちゃんと世界からの視点を取り入れていた。

台詞で直接は語らないゲームだった。

 

ラスアスは、ある意味ユーザーは押し付けられたと感じるかもしれないし、悦に入っているように感じられ部分もある。

あれこそ自己憐憫だ!と言える部分もあるだろう。

しかし、LGBTQを普通のこととして描き、体格が男性のように鍛え抜かれた女性も登場する。

全ての人々の感情と衝動が物語に反映され交錯していた。

私は二人の主人公にいたく感情移入し、ゲームを終えるころには呆然としていた。

だが、アマゾンのコメントを見てびっくりした。

女性の絡みが気持ち悪いだの、ゴリラみたいで最悪みたいな容姿に対してのコメントばかりだった。

なんて保守的な考え方なのだろうかと。

ゲームはプレイするユーザーのモノ。確かにそうかもしれない。

ただ、コメントをみて確信したのは、日本のメインのユーザーたちは、国際的な視点でゲームをしてはいないということだ。

多様性を認めない。

 

そして、ゴーストオブツシマ。

これもLGBTQを一部描いていたが、割とライトだったせいか、批判は少ない。

日本を舞台にした、素晴らしい景色を私たちに見せてくれた。

勿論、ゲームを作ったのは日本の会社ではない。

わたしがあのゲームで一番好きなのは、主人公がすすきを手のひらで撫でながら歩くシーンだ。

すすきの野原を歩くと自動的にそういうアニメーションになる。

あのしぐさが素晴らしい。

 

わたしの友達は、ゴーストオブツシマのLGBTQのストーリーに少し引いたと言っていた。

普通の人の観念とはそういうものなのかもしれない。

まあ、私自身LGBTQだから疎外感を感じるのだと思う。

 

でもおそらく、このような国際的な視点や多様性の視点を日本のゲームに取り入れるのは難しいと思っている。

何故ならまず、日本という国は日本人がほとんど住んでいて、LGBTQ的な考えもまだ否定されているからだ。

今、現在において、日本の大作ゲームを作っているひとたち、とくに何を作るかを決める上の人々は40代以上だろう。

実際に保守的な考えを持つ人は多い。

勿論そうではない人もいたが、基本的に上の言うことは絶対だ。

それに、そういう要素を取り入れること自体が危険視されている。

宗教や人種的な要素もそうだ。理解せぬままなんとなくでゲームに取り入れてしまうと炎上する。

だからそれをファンタジーへと変換することで似たようなものを描く。

だけど、理解できなかったとしてもそれを認識することは必要だ。

 

彼らが主軸としているのは、アニメであり、映画でも小説でもなく、その観念は日本という国を出ていない。

実際に、日本で売れているゲームはアニメ的なゲームだからだ。

莫大な予算がかかっているならば、売れるものを作るのがスジ。それはわかる。

これは昨今における日本の大作映画も同じような構図になっている気はする。

売れるものでなければ金を出せないのだ。

でもクリエイターとしてそれで良いのだろうか。

私はそうじゃないものが見てみたい。

 

アニメを否定するわけじゃない。

ニーアや、ティルズもアニメとしてみれば面白い。

実際、私はこの世界の片隅にや、攻殻機動隊なんかも好きだ。

 

ただ、他の国では成しえていることが日本ではできない。

それは、今のZ世代がゲームを作るリーダーになるころじゃないと変わらないんじゃないだろうか?私はそう思っている。

大豆田とわ子のドラマの最終話で、とわ子の娘の言葉がそれを感じさせてくれたからだ。

 

わたしは今年に入ってからハーフオブイットを5回は見ている。

多分一生好きだろう。

 

日の名残りのように自分の中に秘めておいて言わないでおくことは辛くもあるが楽だ。

出口なしのように、他人が勝手に確信しているあなたという存在について、言いたいことをいいあえば、地獄だろう。

けどこの映画は、お互いを認識して、理解し、その上で互いを思いやるのだ。

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他では当たり前にやっているその観念をそろそろ日本のゲームもやるべきではないだろうか。

 

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