The Last Of Us 2 をクリアしました。
The Last Of Us の一作目をプレイし終わった後、続編が出ることになり、当初私は、
この物語はここで終わってほしい
そう思っていました。続編か・・いや、出ないで、出ないで!!
と。
でも、今はこう思っている。
出てよかったよ!!軽く鬱だけどね!!
と。
相変わらずの暗い旋律、語らなくてもすべてのユーザーのプレイが物語る感情路線。
今回は、女性主人公エリーとアビーの二人に焦点を当てた物語となっていて、各々の復讐の物語となっているわけで、もうなんていうか本当に暗いわけですね。
もちろん、エリー編、アビー編の視点からお送りするわけですよ。
(ちなみに、最近は女性主人公ゲームが増えてて、個人的にはうれしく思います。)
アビーがどうしてこんな風になったのか。
体格の変化だけでわかるんです。
エリーの今までしょいこんできたものが、
エリーの背中が物語っているわけです。
とにかく、TLOU2は演出が素晴らしい。
エリーがやつらを追い詰めていったその時の、エリーの耐え切れぬその表情に焦点をたてる。私に□ボタンを押させようというのか。
押したくないんだ、押したくないんだが。
とにかくエリーさんにはエリーさんでいて欲しいんだ、あの頃に戻ってほしいんだ。
アビーが日々うなされる夢のシーンは動画では終わらずに(ここ大事)
ユーザーにキャラクターを動かさせる。これによってユーザーもアビーに感情移入する。
そしてその夢としての贖罪は、彼女の行いとともに変化していく。
なにこれ、素晴らしいやん。
そして、話がどんどん進むにつれて思うわけです。
エリーさん、もういいよ、やめよう。
エリーさん、もういいよ、帰ろう?
エリーさん、もう、もう、いいから、ねぇ。
もうダメ、私泣きそうw やめて エリーさんンンンンンンンンン!!!!
あの夕日を思い出してぇええええええ!!
もう、息も絶え絶え、息ができない。
きっと、TLOU2のエンディングについては、いろいろ賛否両論あると思う。
今回は、復讐と赦しがテーマで、そのキッカケもすべて直接的な言葉にしては語らずにシーンで語りかけてくる。
私は、TLOU2をプレイして、何故かアドアストラを思い出してしまったよ。
ベクトルは違うけれど、憑き物が落ちた感じがね。
ギターを弾くエリーが想い馳せ、そしてそれを手放す。
今回のLGBT要素も、好きじゃない人もいるんじゃないだろうか。自分もLGBT要素を主要人物にここまで赤裸々に演出したゲームはプレイしたことないので。
でも別にいいんじゃないかと思う。
男だからとか女だからとか性別の問題じゃなくて、エリーはその人だから好きになったんだろう。ならいいんじゃん。
ちなみに、ディーナは同性愛ではなくバイセクシャルというように描かれている。
(ディーナがユダヤ教で、ユダヤ教自体は同性愛を禁じているため、エリーたちが生きている頃合いにはそれが別に問題はないということを指しているのかもしれない)
オープンワールドじゃないゲームなのに古臭くない?とかそういう話もあるのかもしれない。
ゲームシステム自体も、1とほぼ変わってないしね。
いや、古臭いとかどうかとかそういうことは関係ない。
かの淀川さんが、映画には映画の文章がるの、というように
ゲームにはゲームの文章があると思う。TLOU2にはそれがある。
映画化とドラマ化(HBO制作)の話があるようだから、それが楽しみですね。
あぁ、もぅ ぜぇぜぇですわ。面白かったです。
ちなみに、これがウォーキングデッドだったら、赦しはない。
リックは引き金を引くでしょう。
彼はあの狂った世界で良心を持ち合わせてはいるけれど、そんな彼も心の均衡が崩れそうになりながら、地面に立っているんですよね。
そういえば、ウォーキングデッドシーズン2のあの農場を思い出すよね・・。
最後に、ゲームクリア後とゲームクリア前のプレイ前のボートの映像も憎い。
霧は晴れているだろうか。