怪物見てきました。
TOHOシネマズ渋谷で。
渋谷なのにスマホが光らない、どうした渋谷!?
というわけでぇ、怪物です。
そろそろ映画館が空いてきました。
映画の内容としては、ね、んと。
3人の視点で物語が進んでいくんですね。
最近みたさがすを少し思い出したけど。あれも、3パートあるんだよね。
ちなみに、さがすって凄い良い映画。
あれと少し違うのは、アフタースクールというか、パルプフィクション的な発見があるというか。
最初の主人公は、お母さんなんですよ。
安藤サクラね。
息子と仲睦まじい感じの演出が、淡々と描かれる。
最初火事が起きてるんですわ。
そこからが、事の始まり。
3人の視点もそこが主軸。
母ちゃんは、シングルマザーで、洗濯屋さんに勤めてる。
旦那はすでに死んじゃっていて。
息子の様子が最近おかしいんですよ。
いきなり髪を切ったりね、水筒の中には砂利がはいってたり。
なんか変だな。って。
耳はケガしてるしさ。
よくよく聞いたら、先生が殴ったっていうじゃない。耳をひっぱったっていうじゃない。
どういうことなの?
お母さんは確かめに行くんだけどね。っていう始まりなんですよ。
この映画、なんていうか多少ネタバレしないといけないので、中程度ネタバレはしていきますけど。
1,2,3パートって話が進んでいくんだけどね。
1のパートでキーになっているアイテムが、2では違う使われ方をしていたり、ああ、ここのアイテムなんだね、っていう伏線回収がはいってくるんですね。
おかあちゃんが思っていた視点、先生が見ていた視点、子供が見ていた視点、全部違うんですね。
全員が全員、生きようとしていただけなのに、なんだかどうにも、うまくいかないことが、すれ違っていってしまうことがあるわけなんですが。
で、あの嵐の日、子供たちはーっていう話に繋がっていくんですよ。
子供たちはただただ二人でいたかっただけなのに、それを阻害する社会がすぐそばにあってね。
結局のところ、この映画のメインは、この二人の子たちなんですね。
二人の子たちは、一緒にいるのがただ、ただ楽しくて、楽しくて。
もうずっといたいんですけど。
片方の子は、お母さんが家でていっちゃって、お父さんは酒を浴びるように飲んで帰ってきて、息子の脳は豚の脳だから、俺が治さないとっていってる。
治さないと、っていってるんですよ。
つまり、ある少年の告白という視点で、お父さんは治さないと、っていってるんですけど。うっすら自認はしてるかもしれないですよね。
でも、小学校高学年って、難しい年ごろじゃないですか。
好きな人の性別?っていう。
一緒にいるのがただただ楽しい、でもそれは好きなのか、どうなのか。
人として好きと、異性としての好きと、全部ひっくるめて好きと。
高学年でどっちかって、自認するのも難しい気もするんですけどね。
で、背の高い男の子は、ただただ一緒にいるのが楽しいはずなのに、なんだか少し恥ずかしいんですね。
認めるのがなんだか、難しい。
自認するのも難しい。僕の脳も豚の脳なんじゃないだろうか。
そう思っちゃったりするんですね。
そこで思い出すのか、クロースなわけですが。
ああ、予告を見たらみないといけないな、って思ったりするわけなんですよ。
秘密基地みたいな、トンネルの奥の廃墟、電車の中で遊んでいるんです。
遊んでいると、線路の向こうが見える。
でも、線路の目の前には鍵のかかった扉があってはいれないの。
もちろんあっちに行きたいの、でもいけないのね。
なんかさあ、うまくいえないんだけどね。
この映画ね、良い映画だったのね。
ただ、セリフを言いすぎてるって感じるところ、あるのね。
あの飴必要だったかな、好きって、ダイレクトに発言するの必要だったかな。
でも、先生の男だろ、って発言は必要だった気がする。
日本って、男だろ、男らしくない、泣かないの、みたいな暴言が多いでしょ。
あの言葉って、ちょっとずつ刺さるんだよね。
女でしょ、女の子らしく、みたいなの。
聞いた時の居心地の悪さね。
どっちかじゃないといけないのかな、って。
お母さんとバラエティみていたとき、息子は全然違うことを感じているの。
ぼくは笑われる対象なんだろうか。
この映画、最後は少しふわふわ終わるんですよ。
嵐の日、彼らの姿は見えないんですよ。
あの雨が、ガラスにぱちゃぱちゃ打って、下から眺めて、すごい映像なんですよ。
いるんだろうか、助かってるんだろうか。
でも、スパッと切れる。
最終的なエンディングは観客にゆだねているのだが、とてもふわふわしている。
あんなに嵐で大雨で、豪雨の中、
さあ、出発の時だ、って。
嵐の音は、なんだかローマの波の音、見てるみたいに聞こえるの。
凄い不穏なのよね、ホラーだよ。
それでさ、
服だけはびちゃびちゃ。
でも、嵐があったとは思えないほど快晴で、あたりは雨の水滴すら草木についてない。
そうして彼らは、線路の向こうに消えていく。
トンネルも線路も、別の世界へつながる道の比喩。
このエンディングを見た時、私の中での気持ちは確定的であったが、
小学生のころに読んだ、子供のいる駅、を思い出した。
あれは、駅のホームで、切符をなくしてしまった少年が、駅から帰れなくなってしまう話なんだけどね。
だから、エンディングがふわふわして終わったのはよかったのね。
そこに行きつくまでも、もっとふわふわしててもいいかな、って思った。
ただ、とてもよかった。
そういえば、この映画、6月に公開してるんですよね。
プライド月間ですからね。