87分の1の人生を見ました。
アマプラです。
フローレンス・ピュー主演のヒューマンドラマですね。
主人公は、若い女性。
彼氏と結婚秒読み。ウェディングドレスを選びにいくところ。
姉夫婦もつれて一緒に。
車を運転していたら、ミュージカルが見たいって話になって。
時間にまにあうかなあ?どうだろ。
運転しながらスマホを手に取る。
その瞬間、眼前に工事の車が出てきた。
一瞬だった。
生き残った主人公。ショックのあまりに、そこから立ち直れず、暗い部屋の中。
鎮痛剤の依存症になってしまった。
クスリを手に入れるために、薬局で嘘をついてみたり、地元のさえない同級生に薬を懇願して拝借したり。
フローレンスピューのどくずれっぷりがたまらない。
そうこうしていると、彼氏の父親や、姪とひと悶着あり、物語が展開していく。
この映画を見ていると、始終付きまとう感覚としては、フローレンス・ピューのあいらしさ。
クスリに依存して、だめだわ私だめだわあ、と言いながらももがいて小さい自転車をこぐ。
お父さんはいなくて、お母さんは毎日仕事から帰ってくると酔っぱらってるみたい。
娘はかわいくてしょうがない。
87分の1、というのは、彼氏のお父さん役であるモーガン・フリーマンが人生をかけて作っている模型のサイズのことを言う。
このサイズの中だったら、どんな人生も描けてしまう。
かなわなかったことも、かなえたかったことも。
この映画を見てるとね、後半はなんだかうまい具合に行き過ぎた展開にも見えてくるだね。
ティモシー・シャラメ主演のビューティフル・ボーイって映画あったでしょ。
ああ、大丈夫かなって思うの。
でもクスリにはまったら、なかなか抜け出せない。
あんなに、庭では輝いた笑顔みせていたのにって。
87分の1はうまくいきすぎているようにも見えるの。
当人たちにとってはそんなことないんだと思うけどね。
でも映画の中って、もしかしたら87分の1かもしれないでしょ。
だからそれでいいのかもしれないよね。
映画の中でくらい。