シン・エヴァンゲリオン劇場版:||を見ました。
この謎記号は、リピートの意味ですね。WIKIにも書いてるから敢えて言わんでも、って感じだけど、実はピアノをやっていたりする私は見たらピンと来てしまうんだ。
よくね、エヴァを見たというと、あなたエヴァ好きだっけ?って言われるのさ。
まあ、そういうキャラじゃないからな。
私とエヴァの出会いは中学生の頃かな。
当時、私の地元でエヴァは放送してなかったんだけど、オタクないとこがエヴァという存在を教えてくれてね、ツタヤで借りたのがキッカケかな。
見てびっくりしたよ。アニメの概念が覆ったからね。
インパクトのある台詞(思わせぶりともいう)、デカデカと漢字ばかりで羅列された文字列、物憂げでうつな主人公たち、ストーリーが進むにつれて悲惨になる現状、今までにないロボットの形態。
すべてが新しかったよね。
お陰ですべてを夢中で見たよ。
旧映画版も全部映画館に見に行ったし。
新になってからは、全部映画館で見たわけではないけど、全部はちゃんと見ようと思っていた。
ガイナックスからカラーになったイキサツとか、そこらへんの事情はよくしらないんだけどね。
今回が最後の映画だけど。
難しい単語のオンパレードだったね!
でも、やっぱり即座に単語の説明をしてくれるんだよね!w
という、なんとも言えない単語の応酬だった。
単語を単語で説明するという、ちょっと待って?!みたいな感じだったのでそこはどうかな・・って気もするけどね。
でも、単語の応酬を意識しなければ、それはだいぶシンプルな話なのだ。
ある意味、スターウォーズ裏編とでもいうべきな。
これは、前作でカヲルくんという友達を失ってしまったシンジくんが、引きこもりになってしまうんだけどね。
その時、気づかせてくれる人がいるんだね。
このままでは駄目だ、僕が決着をつけないといけない
と、ダースベーダーと決着をつけに行く話なんですよ。
自らの責任を取りに行く話なんす。
だから、親父と息子の話。
親父は親父で、親父の信念があり、それを譲ることができなかった。
止められるのは息子だけなんですね。
まあ、でね、親父と息子が対話する話なんだね。
そこで、ほとんど自分の胸のうちを喋らない親父の言葉が語られるんだが。
おいおい。
待てよ。
聞いてないよ。
私は泣いたよ。
お前、私と同じじゃねーか。
ヘッドホンが手放せないのも、親戚の無駄な愚痴を聞くのも、すべてが鬱陶しいよ。
人とかかわって生きるのは面倒だよね。
てきとーになんとなくやり過ごしていければいいんだよ。
と、げんどーさんの気持ちがダイレクトに流れてきて私は辛かったよ。
ただ、彼はとてもストレートに独白していたね。
心の対話だから、ストレートなのは至極当然なのだけど、ストレートに言葉にするべきなのかは作り手には葛藤があったことでしょう。
ただね、彼は言葉にするべきなんですよ!!
考えているだけじゃダメなんだよ。人類は補完されるべきじゃなく、他人は他人で、個は個なんだよ。
何を考えているのか、何を嫌だと感じているのか、何を好きだと感じているのか、すべて伝えないといけない。
それが苦痛を伴うことだってあるさ。
すべてを伝えたいと思えるなら、伝えればいい。
だから、エヴァは、コミュニケーションについての映画ともいえる。
ラストの終わり方もよかったですね。
特にシンジくんを表現する媒体が、意識的に変わるんですよ。
だから、耳を通して、観客たちは感じることができる。
ああ、そうか。
彼は大人になったのだ、終わったのだ、そして始まるのだ。
とね。
ちなみに、私はシンジくんがとても嫌いなんだ。いつも拗ねていて、僕なんか僕なんか、って劣等感の塊でできている。
あんたしっかりしなさいよ!!と、ほっぺを叩きたくなる。
アスカの罵倒シーンのカメラの揺らめきはとてもいいです。
ところで、オープニングのアクションシーンが、映像として面白いんだけど、私は地下に潜む怪人、のパッケージを思い出したよ。
話は逸れたが、長い旅路、お疲れさまでした。