去年の始めごろかな、This Is Usを見ました。
実を言うと、This Is Usは3年ぐらい前に姉に「きっと君は好きだよ」と薦められたんですよね。
でも、好きなものをいつも最後にとっておくから、3年ぐらい見ていなかった。
そしたら、3年たって知り合った友達が「This Is Usはいいですよ、見てくださいよ」っていうわけです。
それで見たのがきっかけでした。
This Is Usは、一言でこういうドラマだよっていうのが説明しづらい。
これはある家族の話で、子どもたちと、その親が主人公。子どもたちは36歳。それぞれ人生の節目を迎えている。
その子どもたちの36歳と、子どもたちが生まれたときの、親の36歳とを時系列交互に描いていくドラマ。
このドラマの良いところは、なんと言っても、大事なことを直接的な表現では言わない。たとえ文句が多いんですね。
でも、そのたとえがとてもいいんですね。そしてわかりやすい例え。
そして、ケイトの彼氏が最高に好き。
一途すぎるぐらい、というか重いほどにケイトが大好きで、全力でぶつかっていくんですよね。
真っ直ぐすぎるぐらいに。
主人公の子どもたちも、悩みながら人生を歩んでいて、そのたびに考える。
36歳というのは難しい節目だ。
いろんなことがわかってくる。
できることと、できないこと、自分の周りがどんどん明確に見えてくる。
ケビンが、死生観について訴えるときがある。
ケビンは親父が本当に好きだったんだけど、親父はいつもケイトを気にしていて、疎外感もあった。どうやら親父は子どもたちが36歳になった頃にはすでにいないっていうことがわかり始めるんだけど、ケビンは、いう。「死んだ人も生きている人も、この紙の上に一緒にいるんだ」
そうか、そう考えたことはなかったな。
1話1話にテーマがあって、複数人で書いているから空気感が違うときももちろんある。
でも、This Is Us の言葉はいつも心に残る。
ランダルの父親はいう。「パイをくれる人が現れたら、パイを受け取るんだよ」、「私はね、人が好きなんだよ」と。
ケビンの親父は「深呼吸するんだ」という。
映像でいろんなものが繋がってくる。
ここぞというタイミングで、言葉をぶっこんでくる。
毎日を絶え間なく生きていると、息の仕方がわからなくなるときがあるかもしれない。
そんな風になりそうな親父の顔を、今度はケイトが何も言わずに両手で挟み込む。
過去の話も未来の話も全部が繋がっていて、このピアソン家の子どもたちはやっぱりピアソン家なのだと実感する。
姉が私にこのドラマを薦めたとき、姉は鬱を患っていた。
「このドラマきっと好きだよ」そう教えてくれたのだ。
その時彼女は36歳だった。
あの時一緒に住んでいた姉とは、今は一緒には住んでいない。
あんなに毎日話をしていたけれど、年に一度か二度ラインをする程度だ。
この年代の数か月、一年はとても早い。
そうして今度は私が36歳になっている。
公に、誰かに自分の年を言うことはもうない。ていうか、若く見えすぎて、言えない!w
言わない!w お前そんな年食ってんのかよ、みたいな視線をやめてくれ!w
姉と一緒に住んでいたあの頃、
姉は当時、よく仕事のことや、仕事の人間関係で悩んでいて、結局休職することになっていた。そんな時に姉はThis Is Usを見ていた。
そんな姉について、私ができることは何もないと思っていたし、姉がなんとかするしかないと考えていた。
結局のところ、姉を助けるということを私はしなかったのだと思う。
多分、何か力になれたはずだ。少し後悔している。
そんな姉と共通する部分が多い友達が今度は私にThis Is Usを薦めてきた。
もしかしたら、これはレモンがレモネードになったのではないだろうか。
しかし、今度はその友達が仕事のストレスから休職してしまい、その事にとてもショックを受けた。
もう後悔はしたくない、そう考えていた。
それが強すぎたのかもしれない。
This Is Usにはいい言葉が沢山あり、彼らは大切な人たちにいつもひたむきだ。
大切な人が息ができなくなりそうになっていたら、両手を添える。
This Is Usは、家族の話だ。
でも、これは私の話であり、あなたの話であり、私達の話なのだ。