ブラッククランズマンを見てきました。
予告の感じから、スパイクリー随分コミカルそうだけど・・・?はて。
といぶかしみながら見に行くことにしました。
大型の上映ルームではなかったですが、お客さんはそこそこ。注目度はまずまずという感じみたいですね。
あらましはっていうと、ロン・ストールワースという人が書いたノンフィクション、ブラッククランズマンという本が元になっている話で、コロラドスプリングスに初の黒人警官として入った新人、ロンがKKKに潜入するっていう話です。
KKKに潜入するって言っても電話で話すのがロンで、アダム・ドライバー扮するユダヤの警官が実際には潜入するという。
黒人であるロンが、電話をしながら、白人万歳!みたいな、俺が一番嫌いなのはニガーさ!みたいなことを言っているという、逆の事象が、コミカルさというか、ブラックユーモアさを出しているっていう感じのテイストになっています。
コミカルといえばコミカルかもしれないんですが、
個人的には
コイツァ難しいぜ!!!
ていうのが率直な感想です。
例えば、映画の中で、白人の話す英語と黒人の話す英語はイントネーションが違うんだ!ていう1幕があるんですよ。
areの発音が、白人だとあーだが、黒人だとあーらだ!!と。
正直な話、さっぱりわからない!!わからないおかげで笑えない!ていうか、笑って良いのかもわからない!!が、劇中だと警官はめっちゃ吹き出しておるではないか。
これは、まるで、あれですよ。
翔んで埼玉現象なんですよ。
翔んで埼玉って見ました?私はここで書いてはいないけど・・w
まあ、見たんですよ。で私は思ったわけです。
楽しかったよ!?楽しかったさ?!でもさ、埼玉県人(あえて県人)ならさ、数倍笑いのネタが分かって面白かっただろうさ?!
という現象がですね、
この映画でもおきます。
面白かったかどうか、ではなくてですね、この話はどういう話なのか?!が、当人だったら多分もっとわかるっていうか。
という意味ではあれか、原作のノンフィクションを読んだ方がいい気がする。
例えばですよ。
白人の映画歴史として、バースオブネーションとか、風と共に去ぬとかの話が出てくるんですよ。
バースオブネーションっていうのは、國民の創生っていう映画なんですけど(最近撮られた方の映画ではなくてめっちゃ古い映画です)、KKKが良いモノとして描かれていて、KKKが復活しちまったよ、おいおい。ていうまあそんな悪影響を与えちゃった映画で、内容的にはだいぶ批判されるようなんですが、映画の歴史的技術としては眼を見張るものがあるらしいので、映画製作で一度は見ることになるものだそうです。(詳しくは町山さんの本とか見ると書いています)
ちなみに、一昨年かな。バースオブネイションっていう同じタイトルで映画化された、南北戦争より以前にあった黒人奴隷の反乱の話、結構良かったです。
バースオブネイションを、俺らが作り直すという意味でも。
話は戻りますが、実際に、KKKが、十字架を燃やすっていうシーンとかあるじゃないですか、あれ自体も、バースオブネーション(古い方)で燃やしてたから、俺らも燃やすか!って始まったらしいです。
だもんで。それと相反しての、黒人映画としては、こんな映画が面白いだろ〜!みたいな会話シーンが挟み込まれるんですけど。
一ミリもワカンねぇ
ていうね、ていうね!!調べないとだよね、うん、ていうか見ないとなんだよね、ってすごい思った。
ていうことでいうとさ、私はつまり、スパイクリーがいう、黒人映画を全然見てないってことだな!と。
KKKが、ユダヤを嫌っているだとかっていう意味で、今回のアダムドライバーはユダヤ警官として脚色されているようですね。(そこはわかるぞ)
で、まあ思うに、この映画ですね。
ブラックコメディの部類の映画だとは思うんです。
が、人種をネタにした皮肉なのですが、その人種をネタにした皮肉というのが、どの程度なのかというのが実感として体感することが難しいんです。
確かに、登場人物たちは、白人警官(劇中ではピッグと呼ぶ)に不当な取り調べを受けたりだとか、扱い受けたりだとかっていうシーンがあるので、差別っていうのが身の回りに常にあるっていうのもわかるんです。
しかし、それが常にあるということが前提のまま話が進むから、
感情移入や、体感する前に提示されちゃうと、考える出してしまう・・そう私は悩んだ!
そして、最後にあのエンディング。
ちなみに、この映画を撮り終わった後に、あの事件があったそうで、もともとあったエンディングはこれに差し替えたそうですね。
つまり私は、最後にあのエンディングがきてまた悩む・・とね。
で私は、この登場人物のうち誰に一番感情移入したかっていうと、アダムドライバーなんですよ。彼はですね、ユダヤ人なんですけど、ユダヤとして意識せずに育った、と告白するシーンがあるんですね。
で、彼の思いが語られるシーンがあるんですが、その心情がつまり今まで第三者だと思っていたら、当事者だったというその彼の思いが、
人種について初めて実感したという感覚なんじゃないかと思うわけです。
・・考えすぎてもやもやが止まらんな!!ていうことで、お開き!