白い牛のバラッドを見ました。
イラン映画ですね。
U-NEXTです。
いやあ、U-NEXTには本当に世話になってるわ。
こういう映画って、U-NEXTにしかあんまおいてないからな・・・。
で、白い牛のバラッド。
白い牛っていうのは、罪もなく、死ぬことになってしまった牛の話を聖書から引用しているらしい(聖書に詳しくないので詳しくは何も言えねぇ)
白い牛ってのは、誰のことかっていうと主人公の旦那さん。
旦那さんは、やってもない罪で有罪になって死刑になってしまうのね。
ろうあの娘を抱えて、シングルマザー。
牛乳の工場で働き、家で内職をして。
家賃も毎月きちんと払うことができなくて、大家さんに待ってもらっている。
大家さんは、事情を知っているようで、そんな主人公ミナにもよくしてくれるのね。
そんなある日にねえ、
旦那さんは、えん罪です。二人目の証人が、実は犯人でした。
っていうことがわかるのね。
旦那が死刑になってから、一年後だよ。
折り合いをつけたはずが、旦那がえん罪で死んでしまったことがわかってしまった、しってしまったミナ。
心の整理が全然つかない。
彼ら、裁判所は、慰謝料として多額のお金を支払うという通知。
しかし、誠意ある謝罪はない。
ミナは自分の憤った気持ちに整理できぬまま日々を過ごしていると、ある日、旦那に昔金を借りていたという中年のおじさんが家を訪ねてくる。
それを機に物語は転がり始めー。
っていう話です。
なんていうかさあ。
中東系の映画って、こういう映画が本当にうまいんだ。
心をえぐってくるんだ。
でも、イラン映画だけど、珍しくあまり言い合いをしない映画だね。
別離とかの影響で、言い合い映画が増えたっていうのは聞いたけど、この映画は言い合いをあまりしない。
映像ではなくて、間で伝えてくる
人間関係もいろいろ複雑だ。
ミナには、旦那の弟が、何かと世話を焼いてくる。
旦那の保険金が下りてるはずだから、親父が一緒に暮らそうと言っている、と話を持ち掛け、何かと一緒に暮らそうと画策している弟がいる。
どうやら、弟はミナに気がありそうだ。
しかし、ミナはそんな気には全くなれない。
旦那が死んで一年しかたっていないというのに、弟も、旦那のお父さんも、言うのは金や親権のことばかり。
嫌気がさすミナは、弟に車で送ってもらっても振り向きはしない。
だって別に頼んじゃないし。家にくんじゃねーよって。
ミナ様の私は折れない、感が素晴らしいです。
そして、旦那に金を借りていると近寄ってくる中年男性、レザ。
どう考えても、こいつ怪しいだろう?
っていうファーストコンタクトで、このおっさんがどういう立ち位置かわかってしまうんですね。
でも、どう展開していくんだろうか?って。
この映画でも、やはりイラン文化における、女性の立ち位置というのをサラッと描いていくれる。
その1,ペットを飼うやつに家は貸さない
その2,独身女性、未亡人に家はかさない
その3,忘れた
其の2が衝撃的だよね。
独身女性に家をかさない?!
ていうことは、何か、女性はみんな実家暮らしなのか?!
日本の昭和ではないか!?
と、ちょっと驚く。イランは中東の中では、女性の人権への理解もあって、女性が運転することもできるし、仕事もできるし。
でも、社会の風当たりとか、風習ってのはなかなか抜けないもんだ。
お茶を入れるのは女性なのか?ってな。
私は絶対いれてやんねーからな!!
とまあ、社会への風当たりを感じていると、思わぬミナの内面の強さを感じるんだよね。
それはやっぱり口紅を付けた時。
彼女は二度、口紅を劇中でつける。
それは、最初と二回目では意味が全く異なるわけなんだけどね。
一回目の演出はよかったな。
暗い空間から、明るい空間へと入っていくの。
それは彼女にとっても救いだったはずなんだけどね。
で、二回目も一緒なの、暗いところから明るい空間。でも、少し違う意味合い。
興味深いのはね、二回目も口紅を塗っているとこ。
許すのか、許さないのか。
ラスアスを思い出すよ。