存在のない子供たち、を見ました。
原題Capenaum。
この映画を知ったきっかけは、TBSラジオ聞いてて、カンヌ映画祭で話題になったーのレポ特集してたとき・・だったかな。
監督さんは、ナディーン・ラバキーさん。女性監督らしいのだけど、過去作では、キャラメルという映画が話題になったらしいです。
残念ながら、鑑賞していません。
貧困にあえぐ系は、正直みててそれだけで、ツライっていうか、本当の話なんだけど、なんか見に行くとモヤモヤしちゃうんで、見るのをためらってはいた映画です。
さて、この映画、事の始まりは、裁判所。
僕を生んだ罪で、両親を訴える
そんなゼイン君が主人公です。彼は訴えたは訴えたんですが、どうやら少年刑務所にいる最中の訴えだったようです。
ゼインくんは、日々、ありもしない処方箋をでっちあげ、薬屋にいき、良からぬ錠剤を購入してきます。
それをすり潰す母。
すり潰した薬剤は、洋服に浸し、乾かし、親戚のいる刑務所に差し入れとしてもっていきます。
そう、ヤクを中で売るためです。
なるほど、賢い。ていうか、薬探知する犬配置したほうがいいんじゃないのかな?!
とか思いつつ、こういうことが日々日常だとわかります。
子供は、たくさんいて何人いたっけな・・。5,6人ぐらいいたでしょう。
しかし、どうやらお父さんはいつも家にいるようです。タバコ吸いながら寝ていたりします。
どうやら、
この両親は自分の存在を証明するものがないらしく、働くことができないらしい。
もちろん、シリア人でもないので、難民としての配給なども受けられない。
もちろん、子供たちも自分の存在を証明するものがない。
そんな兄弟たちを引き連れて、今日も路上で日銭を稼ぎ、むかつく売店の親父にもへいこらお手伝い。
そんなゼインは、およそ12歳ぐらいであるにも関わらず、妹のサハルよりもだいぶ小さい。
そんなある日、サハルのシーツに血がついていることを発見する。
サハルのことを気に入っている売店の親父の存在を知っていたザインは、両親に気づかれないようにそれを隠そうとするわけです。
これはあれですね。
児童婚の問題を取り扱っています。
去年、わたしはヌジューム、10歳で離婚した という映画をみました。
その映画でもいっていたように、児童婚という文化が存在します。
周りでは普通に行われていた文化なので、いいことか悪いことか、は置いておいて、10歳ぐらいの子と結婚するのは普通だろうという考えがあるようです。
そんなまだ幼いサハルを、結婚させまいとザインは頑張るわ・・けです。
どうしろっていうの、胸がいたい。
両親は両親で、自分らが置かれた状況を分かっているから、日々食べるものにも困っているから、じゃあ、嫁に出した方が自分らとしても、娘にとってもいいだろう。
そういう考えなんです。
いろいろあって、ゼインくんは家を飛び出します。
12歳だけど、働かせてください。
僕はなんでもします、良く働きます。
でも雇ってくれるところなんてありません。
そんな彼は、エチオピア人の女性と運命の出会いを果たします。
エチオピア人の女性も、赤ちゃんを育てながら、遊園地で掃除人として働く毎日。偽造カードで自分を証明する。
エチオピア人の女性と、ゼインくんは次第に仲良くなっていき、その赤ん坊と本当の兄妹のように、面倒をみる。
鍋の中に赤ん坊をいれて、スケボーにのせ、さまよう姿はなぜか
蛍の墓を連想させます。
正直な話、こんなに過酷な状況の連続を見せられても、私は冷静に映画を見ていました。
それでもなんとか生きようと生きるためのルートを探して藻掻くゼインくん。
金を稼ぐために、結局薬をすり潰し、赤ん坊の足に紐を巻き付ける。
彼はそれしか知らないから。
が、ラストで彼は言うわけです。
迷いもせずに言い放った彼の言葉に
命の是非とはなんなのか
こんな言葉をわずか12歳の彼に言わせてしまう是非とはなんだろうかと。
思って考えさせられる映画でした。
ともあれ、希望がある終わり方だったので後味は悪くありませんでしたが、いろいろ思うところな映画でした。
絶対TOHOやピカデリー系ではやらないと思うので、是非映画館で。